しょしごと。

賛否両論、自画自賛。明日天気になるがよい。

キミが思い出になる前にっていうのがわかるよ。

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小学校・中学校の頃の友達をいつまで覚えているのだろうか。とふと最近考えた。もう田舎を離れ、関東でヨロシク☆やってる私は親しい友達以外は連絡を取っていない。けれど、fcaebookやinstagramからバンバン彼女たちが地元・地方・都会でヨロシク☆やってる情報が流れてくる。なんていうか、思い出にすらさせてくれない現代社会だ。

 

みんなのイェーイ☆写真や動画を見たり、子どもの写真を見てると「おお、もうこんなに大きくなったのか」とか「うわ、めっちゃ金持ちになってんじゃん」とか一人で「おひさしぶりです、お元気そうで」と呟いてる状態だ。

 

私が一番近況を知りたい友達は一切、投稿をしていないし、facebookすらしていない。そういうのは一番いいなと思った。近況を知らない友達は勝手にストーリーを想像できるから。

そういう友達を少しずつ思い出しながら書いていくドヘンタイブログである。

 

 

 

かすみ、という女の友達がいた。花の名前の女の子。かすみ草という花があることも、その子と仲良くなって知ったんだと思う。多分。思い出はいいようにセンチメンタルに美化されるからなぁ。

小学生の頃からの付き合いだ。会えば憎まれ口をたたき、笑い合うような仲だった。いや、小5・6はほぼ口喧嘩してたな。あーだこーだうるさい二人だった。小学校・中学を卒業しても、高校の時も、付き合いがあった。駅前で会いプリクラをとる。家に来て遊んだりもしたし、なかなかの仲の良さだったと思う。

 

田舎から上京した時に、彼女もまた上京した。私は千葉寄りだったが、彼女は埼玉寄りだった。大学初日の夜に食中毒を起こした私は救急病院に行き、1泊2日の入院生活をよぎなくされた。夜、肛門科の先生に胃を見られたときはなんていうか、なんだろう。これが都会なのかなと思った。

私は、彼女と同じ上京組ということで連絡を取っていたのですぐに報告をした。「なんか食中毒で入院するっぽい。1泊2日だってさ」と。その夜は手の甲に点滴を打たれ、私はすやすやと寝た。そうして起きて朝ぼーっとしていると彼女がお見舞いにきたのだ。今でもその衝撃というか嬉しさというのは覚えている。私はこの都会の中で1人じゃないんだという安堵感。

 

彼女は少し、苦労をしていた。いや、彼女の選んだ道や人生を「苦労」というのはどうかと思うけど、語彙不足のためこの言葉しか当てはめられない。申しのわけ。

親から仕送りをもらわないで、上京し美容関係を目指すのだということを私は知っていた。すごいなと単純に思った。私は、親に甘え切って上京していたから。高校3年生専門学校に入りたいことを言うと、大学に行ったほうがいいと親からの勧めに甘え切って、私は金銭面のことを何も考えずに上京したのだ。その直後、食中毒。笑える。そんな私を上京したてで日雇いバイトに明け暮れていた彼女がお見舞いにきてくれた。

何にも考えていなかった。私も彼女も。お互い、上京してからの数週間を話し、終わった。もう少し休んだほうがいいよ。とか、そんな話をされた記憶がある。休んだ方がいいのは彼女の方だろうな。今思えば。

夢をもっている彼女が羨ましかった。だから、私も夢を見つけようとその日思った。関東ではもう桜が咲いているんだなと実感させてくれる春の木漏れ日が降り注ぐ中、あんまり綺麗じゃない病室で思った。ダサい恰好をしている私と、少し個性的な彼女だった。思い出の中の彼女はいつも痩せている。

その後私は退院をして普通に大学生活を満喫した。その中でもたまに彼女と連絡を取ることがあった。大学1年か、2年の時か。池袋のリンガーハットで会って食事をしたのを覚えている。バイトではお金がおいつかないこと、シャンプーで手が荒れること、3日間寝てて気づいたら冷蔵庫を開けてご飯をあさっていた事。でも、冷蔵庫の中にはお水しかなくて笑っちゃった。と言っていた。やべぇじゃん、すげぇ。と返し私は親からもらった仕送りとバイトで稼いだお金で買った腕時計で時間を確認し、支払いを済ませた。

 

それから、成人式を過ごし、また何度か会って私は転勤を伴う仕事をすることになった。「今、なにしてる?私は〇〇にいる」とメールを何度か送ったこともあったし、連絡を取り合ったが、ついには連絡を取り合うことがなくなった。地元の親友からは彼女が美容系の仕事をしていることを聞いたりしていた。まぁ、頑張ってんだなと思った。

 

それから、数年。彼女が結婚を考えていることを知った。そうしていま、個人で美容系のなにかをオープンし、結婚をして幸せに暮らしているらしい。そういうことができる相手と結婚したということを知り合いから聞いた。そうか、キミはもう三日寝て起きて冷蔵庫の中の中身に絶望する事はきっとないんだろうな。まあわからんけどね。

そんなことを安易に思えるから、「結婚」というワードは何かしら、人を安心させるんだなと思った。

 

相手の情報を知らないという事は幸せなのかもしれない。たまに訪れる近況に相手のことを想い、考えられるから。あの頃、キミにはどう私が写ったんだろうか。また私はキミのことをどう考えていたのだろうか。もしかしたらお互い「おまえはいいよな」と思っていたのかもしれない。そんなのは想像だしそう思ってないだろうけど。そう思っていたら多分岩井俊二映画の見すぎなのかもしれない。村上春樹も読みすぎかな。

 

キミが思い出になる前にもう一度笑って見せて、と草野マサムネさんは情緒あふるる感じで歌うけれども、彼女もそうだ、思い出になる人は笑ってくれたことはない。思い出すのはいつもちょっとした苦笑いで「いやぁ、キャベツしか食べてないや」といううさぎみたいなことを言っている思い出だけだ。でも私の名前を軽快に呼ぶ彼女の声を思い出すことはできる。だって、10歳の頃から20歳そこらまで聞いていた声だから、忘れるわけがない。

 

別に彼女が死んだわけでも、なにかそういう話がでたわけでもない。ちなみに恋をしていたわけでもない。いたって普通の友達だ。女が女友達を懐かしくエモく考えるのは変だろうか。いやでもそうじゃないんじゃないかな。そういう代表でいたい。

 

まぁ、どうしてこんな、どっから考えても昔出会った人とのエピソードをエモい感じで書くというドヘンタイブログをしたかというと、親以外に私の人格を作ってくれたのは友人や知人なんだよなあ、とぼんやり考えたからだ。親に育てられ、愛された。そうして私を好きだと言ってくれた友人や、ケンカしてもう連絡をとらなくなった友人や、別れた恋人だった人たち。好きって言えなかった人、もういなくなってしまった人。そういう人がぜんぶ、今までのわたしを作ってくれたんだなと思ったからだ。人を育てるのはみんな、勝手にしていることなのかもしれない。思春期の友達は私の人生から消えることはない。

 

まぁそんな感じでセンチメンタルババア・昔の友人を語るブログでした。

 

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あの日のここで はみだしそうな 君の笑顔を見た

水の色も風のにおいも変わったね

 

スピッツは歌うけれども、どうやらこの歌詞は私が田舎に帰った時に一番聞いてエモくなるんだと思う。

 

ただ春だから、かすみ草という花をやたらと推していた彼女を思い出しただけだ。そう、春だから。私は少しエモくなるし、ポエミィになる。花の名前はいいな。花を見ればその人を思い出すから。花や色の名前がついてよく笑う子ははきっと綺麗な思い出になるのだろうね。素敵なことだよ。

 

 こんなこと書いておいてきっといつかまた会うような気もするし、会わない気もする。まぁ、風まかせということでしょうか。