しょしごと。

賛否両論、自画自賛。明日天気になるがよい。

地方に住みたいけど住めない。

出身が東北の田舎です。というとみんな「故郷があるっていいなぁ」という。そうでしょ?と思いつつも、故郷で暮らす家族・親戚・友人を思い浮かべると少しだけ重たい空気が私の肺を駆け巡る時がある。いつかはあの地に戻り墓をどうにかしなければならないのか?とかなんか変なことを考えてしまう。

 

人生は旅だ、とか、旅しているように暮らそう、とか。いつの時代も(といってもまだ30年少しだけど)世間は旅をさせようとする。東京には何でもあるって。すごいキラキラしてんだって。と夢みてたあの頃ともう違い、東京には何でもあるけど大切な物はない気がする。と移住を促す広告も見るようになった。まぁ、わかるけどな。と思いながらカルディでコーヒーを買う。秋田にもカルディはあるけど、カルディでコーヒーを買う自分には出会えなかったわけだから、やっぱり首都圏はすごいと思う。

 

 

 

転勤族で色々と引っ越しをして会社をやめ今の街に戻ってきた。父が仕事で首都圏に出てきたのをいいことに合流し、少しして留学にいき帰って再就職をした。家と会社の往復。会社は、右から左に流す書類仕事だし、言われたことをやればよくて脳みそがつまんないよーと嘆く。営業をやっていたころとは全く違う。しかし、小売業で毎日考え事をしていたからちょっと疲れていた私は、余暇の時間を自分に当ててみた。スペイン語とかブログとか読書とか。そうするとお金はまぁそんなにないけど楽しい人生が見えてきた。でも多分そういう人生が見えたのも、これが首都圏だからなんだと思う。

この春、父は退職をし故郷に帰る決断をした。「東京は働く場所で住むところじゃない」と湘南ボーイだった彼はいう。彼は秋田に惚れ込んでいきてたひとだから無理もない。私はその話を父とすると秋田に帰れていいなと思うけれど帰ってもな、と同時に暗い感情が湧き上がっていつも微妙な顔になってしまう、ソーリー、パパ

 

時々、どこかに行きたくなる。だからきっと人は旅をするんだろう。そうして何人も我が故郷を訪れているんだろうな。

 

でもねぇ、ふるさとってカントリーロードなんです。帰りたいけど帰れない的な。この道を行けば的な。

 

人がいない集落を私は知っている。だから、強い個性は目立つ。そして敬遠されがちだろう。「それ流行ってないよ」で会話が終了する経験を知っている。個性がめんどくさいとめんどうがられる。そういう世界がどうしても私の地元にはある。そう思うと秋田に帰るのめんどうだなと思いつつ、私の血は秋田を求める時がある。あの景色、あの空気、食べ物、人がいないことによっての静かな孤独。あるのは白なのか。それとも雪で埋め尽くされている大地の下でうずいている春なのか。春を夢見て半年すごす。雪国ってすごい。

 

東京にいたいわけでもないけれど、東急東横線沿いで暮らしたいなとか思う。KALDIでコーヒーを買ってスタバにいく矛盾がおもしろかったり、貯金額を眺めてニヤニヤして築年数の古いアパートに文句を言う。たまに夜中に聞こえるクラクションがうるさかったり、安心したり。1人でいることが好きで楽なのにさみしくなったり。秋田産の野菜を見たらスーパーを心の中でほめたり。私はどうしたって秋田が好きで秋田に帰りたいのだ。けれど、帰れない。帰ったところで1か月もたたずに飛び出してしまいそうな気がして怖い。もう私はその地に根を這わせられない人間になってしまっている。騒がしくて孤独なのが普通になったんだろうな。

 

 

こうやって、故郷に想いを馳せたり地方の空気を思い出したりして、でも意を決して新幹線のチケットも買えずに、ただ毎朝駅のホームに立ち会社に向かう電車にのる私をあなたは(だれよ)時々、遠くで叱って…♬ておもうよ。

 

結局、ふるさとってなんなんだろう。

花の都は、なんなんだろう。

 

ここにまだいるのか?

ここではないどこかへいくのか?

GLAYを聞くのか?

 

とりあえず、世の中居場所を作るのが難しいし、その居場所を手放すのがさらに難しくて、いったん離れたらそこに戻れない魔法かけるのまじやめてくれおぱとら、です。

 

地方に住みたいけど住めないんじゃなくて、離れる勇気がないだけか。あら、まぁ。的な。