しょしごと。

賛否両論、自画自賛。明日天気になるがよい。

いつか、たぶん、会いに行く。

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私が生まれた時、それはそれは喜んでくれた人がいたらしい。それは母でも父でもなく、一番喜んでくれたのは祖母の妹、いわゆる大叔母だった。私の母も祖母も茶道教室を営んでいて、大叔母は母の師匠だった。彼女は私を見て「女の子が生まれたね」とにこにことしたらしい。いつも厳しい表情しか浮かべなかった彼女を見て母は驚き、そして嬉しかったと話してくれた。

 

でも私の出生を喜んでくれた大叔母は私が生まれてからその後、多分1回しか会っていない。だって彼女は私が物心ついたころには「つるつる」になっていたからだ。「つるつる坊主のつるさん」母が恐れていためっちゃ怖い茶道の師匠である大叔母は、曾姪孫である幼い私に「つるさん」と呼ばれる存在になってしまったのだ。それはもう立派な剃髪だったような気がする。剃髪をして、仏に祈る。大叔母は物心ついてたころにはもう立派な尼さんだった。

 

 

大叔母について知ってる事はあんまりないのだが、私が小さい頃に彼女が出家していた。小学校になる前か、遠く離れたその土地の寺の離れに家族全員で泊まりに行ったのを覚えている。どうして出家したのかは大人になって知ったが、母は理由をシンプルに伝えてくれた。「世の中に、嫌気がさしたんでしょう」なんてどこかのドラマみたいなセリフを言っていた。母はその時、大叔母の姪ではなく、師匠がいきなり出家してしまった弟子の顔をしていたような気がする。私には師匠と呼べる人がいないし、これからできることもないからその時の母の気持ちは多分理解できないのだろうなと思う。

 

そもそも、身内が出家ってよくわからないシチュエーションだなと思う。そもそも、親と祖母が茶道教室で生計を立ててること自体も少し変わっているのに。小さな頃から変わっている環境だなぁとは思ったけど、身内に尼さんがいるんだ。まぁ、それなりに少し変わっているだろう。坊主は屏風に上手に絵が描けたのだろうか?聞くことすらもできなかったな。

 

私は、つるさんと会ったのは彼女の離れに泊まったのが最初で最後だったと思う。長い時間をかけ車でその寺に行き、コケの生えた階段で兄と笑わずに写真を撮った。手を繋いでいたから多分そのころ兄とは仲良かったんだろうな。記憶の中の離れは古くて、蚊取り線香の匂いがしている。お母さんが暑いといって穴があいてボロボロのうちわで私を扇いでくれたのを覚えている。つるさんが大きな仏壇?いや、あれは仏像?か何かに手を合わせていた気がするなぁ。にっこりと微笑み頭を撫でてくれたときに、髪の毛がなくてこの人は女なのか男なのかよくわかんなかったのを覚えている。それぐらいだ。

 

祖母に遠く離れた彼女に「手紙を書いてあげて」とよく頼まれた。遠い地に一人で暮らす自分の妹を想ってのことだろう。つるさんがどんな思いで出家したのかは小さな私にはまったくわからなかったし、つるさんはただ頭がつるつるな優しい人だということしか知らない。だから、つるさん大好きというような手紙を何回も書いた。お小遣いをもらい、お菓子をもらって何年も、何回もその手紙のやり取りは続いた。そのうち、手紙を書くスピードが遅くなった私を祖母が「早く書いてあげてね」と優しく言って入れたのを覚えている。はぁいと返事をしつつ子供心に少しだけめんどくさいなぁと思っていた。手紙なんていくらでも書けばよかったのに、子どもってのは残酷だよな。

 

いつの間にかその手紙のやり取りはなくなってしまった。祖母が病気になり、それどころじゃなくなったのだ。遠い地にいる妹は出家をした身であることから、お見舞いにも葬式にもこれなかった。出家とはそういうことなんだ、と祖母の納骨のタイミングで送られてきたお地蔵様の石像を見てなんとなく理解した。祖母の葬式の時に母の妹がクリスチャンだと知ったのもこの頃でなんとなく宗教とはめんどうなものだということに気づいた16歳の冬だった。

 

つるさんは、それからどんどん老いていった。いつしかお金をためて会いに行ってみようかと考えたこともあったが私は目の前のおもしろいことにいつも夢中になってしまった。ロックフェスとか飲み会とか飲み会とか、スノボとかキャンプとか。そうしていつしか社会人になり、私はなおも彼女の土地を訪れなかった。訪れたとしてなにをどう話せばいいかわかんなかったんだ。だって生まれてから1回しか会ってない。手紙のやり取りはたくさんしたけど、子供の頃だし。うまく言えなかった。血のつながりだけで尋ねるのは20歳そこらの私にはなんとなく勇気がなかった。

 

膵臓を患っていると聞いたのは25の頃だった。母が何度もその土地を訪れて介護をした。つるさんの上である坊主の長?は母を受け入れ、つるさんは姪であり、弟子である母に看取られた。師匠が本当の意味でいなくなった母はやっぱり寂しそうだった。納骨はあちらの寺でした。出家したからこっちの墓には入れないのは当たり前だけど。生まれた街の海を見れないで死ぬのは可哀想だなと思った。納骨の時、私の母と母の姉が立ち会い死ぬほど日本酒を飲み笑ったという話を聞き、私もきっと母が亡くなった時に死ぬほど日本酒飲むんだろうなぁと思った。

 

私とつるさんはなんだったんだろう、と今になって思う。彼女は私が生まれたのを喜び、そして私の暮らしていた土地を去っていた。どんな気持ちだったとか、そういうの全然わかんない。わかんないし、多分理解しようとも思わない。彼女が私の両親に売った家に私は15歳まで住んでた。もうその家はないけれど。なんとなく私は15歳まで彼女が住んでいた空気を吸っていたわけだ。人生で1回しか、会えてないけれど。

 

この間、職場で気が強い女だと言われた。そのことを母に話したら「気が強いところ、多分そっくりだよ」と言われた。誰にって、あのつるさんにだ。

嘘でしょう、と私が驚くと剃髪する前の写真を見せてくれた。そこには優しく微笑んでくれた彼女とは違って強そうな姿勢が良い着物姿の女性がいた。着物を着て眉はなんていうか攻撃的。色のついたサングラスなんかかけちゃってさ。すげぇじゃん、背筋ピーーン、じゃん。木漏れ日の中で頭を撫でてくれた人だとはなかなか思えなかったな。

 

その写真を見てまぁ私は笑ってしまった。ああ、気が強いところなんかそっくりっぽいなと写真を見るだけで思ってしまったのだ。そうかやっぱり私とつるさんは血がつながってるんだ。多分結構濃いめで。大叔母だけど。だってこんなに気が強い女、私の家族の中で彼女と私ぐらいだ。正義感とかそういうので固められていて、野心とかそういうのがすごい見える。聞けば片田舎でお茶を広めるために政治家と飲んだり企業の社長と飲んだりしていたらしい。なるほどなぁ、そういう人生だったのかと思った。30ちょっとしか生きてない女がいくら考えてもなんで出家しようとしたかなんてわかんないけど。出家したけど身内と会ってよかったのかな?まぁ、わからない。わからないだらけの人生の中、私は歩いている。こうやって解決しない疑問が多い人生も楽しい。感覚で理解することはできる。だから、なんとなく彼女の写真を見てたら理解した気がした。多分、きっと走り出しちゃったんだろうな。

 

何を想って剃髪をしたか、愛する姉に別れを告げ遠い地にいったか永遠にわからないし、知る事もないけれど。でも、いつか彼女がたどり着き人生を終えたその場所にいけたらいいなと思う。行こうと思えば何時でも行けるんだけど。同じ日本海側だから、つるさんのいる場所からも日本海が見えるのだろうか。祖母のお墓からは立派な日本海の水平線が見える。あの姉妹は海でつながる事ができるのだろうか。

35歳になったら一人旅でそこにいこう。誰も連れて行かない。まるで幻だったんじゃないかってぐらいの記憶を手繰り寄せてそこに行くんだ。行ったところで何にも変わらないし、変えない。1回しか触れていないその人に向かって人生で一度きりの家族のようで他人のようなお墓参りをしよう。出家したんだから、身内が訪ねるのもあんまりいいわけじゃないんだろうな。何の花が好きだったんだろうな。祖母が好きな百合を添えてもいいのだろうか。坊主の墓に添える花なんてわかんないけど、わかんないまま墓の前に立つ私を見てほしいな。だってもう、びっくりするぐらい大人になっちゃったからさ。いつまでも、お互い記憶の中じゃ、小さい私とつるつる頭のつるさんなんだよね。

 

つるつる坊主のつるさんの魂はどこにいっちゃうんだろうな。出家したら、別の次元にいくのかな。南無阿弥陀仏のリズムでダンスをとりながら会いに行ったらあの世で会えるだろうか。その時に昔よく母と歌ったつるさん♪かめさん♪と歌ってあげようか。2回目のぬくもりをそこで感じてみよう。まぁ、死んだ後だから感じられないだろうけど。誰も知らないもんなぁ、死んだ後のことは。

 

一度きりのぬくもりを思い出せないし、声も思い出せない、でも確かに彼女は私の中にいる。まぁそんな身内がいるのも、悪くないよな。少しだけのつながりを懐かしみふと彼女を想い過ごすのも、彼女がくれた私への人生のスパイスって感じでそれもまたいいよね。

 

いつか、たぶん、会いに行くだろう。

そうして、たぶん、思い出せないままお酒を飲んで寝るんだ。

それでいいかな。悪くないね。

 

 

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